前回の記事で、私は武田信玄の最後の西上作戦について言及しました。
今回は、その史実を追いかけてみたいと思います。
元亀3年(1572年)、戦国最強とも称された武田信玄が、大軍を率いて西へと動き出しました。
目指すは、おそらく京。織田信長を討ち、天下に号令をかける——そんな構想があったとも言われます。
ところが、この遠征には不思議な点があります。
なぜ信玄は、よりにもよってこの時期に、西へと兵を向けたのか。
なぜ、北でも東でもなく、西だったのか。
この記事では、信玄が西上作戦に踏み切った背景を整理し、「なぜこの時、西だったのか」を、私なりに考えてみたいと思います。
(進軍の経過や、その後の顛末については、また別の記事で追いかけていく予定です)
なぜ信玄は西へ向かったのか
武田信玄と織田信長は、もともと敵対していたわけではありません。
両者はむしろ友好的な関係を保っていた時期があり、信玄が西へ動き出すのは、情勢が大きく動いた末のことでした。
転機のひとつは、東の脅威が消えたことです。
元亀2年(1571年)に北条氏康が世を去ると、信玄は北条氏政と和睦し、背後を気にせず西へ兵を向けられる状況が整いました。
時を同じくして、畿内では「信長包囲網」が形を成しつつありました。
将軍・足利義昭が各地の大名に信長討伐を呼びかけ、浅井長政や朝倉義景といった反信長勢力が動き出していたのです。
彼らは信玄にも、信長を討つための力添えを求めてきました。
そして直接のきっかけとなったのが、東美濃の岩村城をめぐる一件でした。
元亀3年(1572年)、城主・遠山氏の跡目をめぐって織田方が介入すると、これに不満を持つ勢力が武田氏に助けを求めます。
信玄と信長の関係は、ここで決定的に崩れました。
こうして信玄は、織田・徳川の背後を突くべく、西へと大軍を進めることになります。
ただし、その最終的な狙いが「京へ上ること」だったのか、それとも「徳川・織田に打撃を与えること」だったのかは、今も研究者の間で意見が分かれています。
信玄が何を見据えていたのか——それを考えることも、この作戦の面白さのひとつです。
なぜ、このタイミングだったのか
ここからは、史実を踏まえて私なりに考えてみたいと思います。
信玄が西へ動いた理由として、よく「自らの死期が近いことを悟り、最後の賭けに出た」と語られることがあります。
しかし、この見方には少し疑問が残ります。
総大将である信玄が、遠征の途上で倒れれば、軍全体が大きく動揺することは避けられません。
信玄ほどの戦略家が、そんな不確実な要素を抱えたまま大規模な作戦に踏み切るとは、考えにくいのです。
実際、信玄は死に際して「自分の死を三年間隠せ」と遺言したと伝わります。
これは裏を返せば、総大将の死がいかに軍を揺るがすかを、信玄自身が誰よりも理解していたということでしょう。
では、なぜこの時だったのか。
おそらく、複数の条件がそろった結果でしょう。
最も大きかったのは、「信長包囲網」が形を成していたことです。
将軍・足利義昭の呼びかけがあり、浅井・朝倉をはじめとする反信長勢力が動き出していた。
東美濃の岩村城をめぐる織田との対立も、出兵の名分になりました。
背後の北条との関係も、将軍の仲裁という後ろ盾があれば、ある程度は安心できたはずです。
これらの条件が同時にそろったからこそ、信玄は動いたのだと思います。
なぜ、西だったのか
もうひとつの疑問は、なぜ信玄が西を選んだのか、ということです。
私は、東への進軍を信玄が避けたかったのではないか、と考えています。
かつて上杉謙信は、関東の諸将を率いて北条の本拠・小田原城を包囲しました。
しかし、難攻不落の小田原城は落ちず、北条は滅びませんでした。
それどころか、上杉が兵を引けば、寝返った諸将はまた北条になびく。
北条の支配圏は、外から叩いても、すぐに元へ戻ってしまうのです。
そして信玄自身、かつて小田原城を攻めながら、これを落とせませんでした。
北条の統治の盤石さを、身をもって知っていたはずです。
戦で攻め取ることと、その地を治め続けることは、まったく別の話です。
東に兵を進め、たとえ一時的に領土を得たとしても、それを保ち続けるのは難しい——信玄はそう見ていたのではないでしょうか。
だからこそ、西へ向かう道を選んだ。
私には、そう思えてなりません。
おわりに
武田信玄が西へ向かった背景には、信長包囲網という好機がありました。
そしてその選択の裏には、「攻め取ること」と「治めること」を分けて考える、信玄なりの冷静な計算があったのではないか——私はそう考えています。
もちろん、これはひとつの見方にすぎません。
信玄が本当のところ何を考えていたのか、確かめるすべはありません。
それでも、残された史実から「なぜ」を想像してみると、年表には載らない、一人の武将の姿が少しだけ見えてくる気がします。
次回は、西上作戦の経過を追いかけてみます。
大軍を率いた信玄が、どのように徳川領へと攻め込んでいったのか。
よろしければ、お付き合いください。


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